元寇防塁を訪ねる旅 福岡市

Date:2014年02月27日11時35分 | Category:旅行 | Writer:ぐらんざ編集部

肥後国により築かれた、生の松原地区に残る元寇防塁。「蒙古襲来絵詞(もうこしゅうらいえことば)」に描かれた、肥後の御家人・竹崎季長(たけざきすえなが)が防塁の前を馬上で進む場面は、この生の松原の情景と言われている。ちなみに今年は石築地が「元寇防塁」と名づけられて100年を迎えた。


博多湾岸に約20キロ 元寇防塁が築かれた

 文永の役(1274)で苦戦した鎌倉幕府。博多湾に来襲した元軍に上陸を許し、危うく内陸部への侵攻の危機にさらされた反省から、再度の来襲に備えて幕府は博多湾沿岸に石築地を築くように命じた。これが後に「元寇防塁」と呼ばれるものである。

 博多湾岸の上陸可能な海浜部に築かれた、高さ約3m・幅(奥行)約1〜2mの防塁は、総延長約20キロにもおよぶ長大なものであった。鎌倉幕府が命じた石築地役は、所領一段(反)につき一寸の長さを築くというもの。九州の各国はそれぞれの分担地区に赴き、1276年の3月からわずか約半年間で防塁を築いたという。

 また、その後は分担地区の警備も務めた。分担地区が判明しているのは、西から、今津地区の大隅・日向、今宿地区の豊前、生の松原地区の肥後、姪浜地区の肥前。そして博多地区の筑前・筑後、箱崎地区の薩摩、香椎地区の豊後である。現在その一部が残されている防塁を見ると、海側、つまり元軍が攻め寄せる側は急傾斜の石積みで、陸側はゆるやかな傾斜に築かれていることが分かる。これは、幕府軍の兵が馬で防塁に駆け上がり、敵を見下ろして矢を射るために工夫されているのだろうか。

 防塁の石材は、分担地区の近くの山や海岸などから運ばれた。後世の発掘調査の結果、それぞれの築造場所によって、その構造、造り方が違うことも判明。一つ一つ調べていくのも興味深い。



元寇防塁とその時代の史跡をめぐる

 文永の役・弘安の役の二度に渡る元寇。その主な舞台となった博多には、元寇に関する様々な史跡が多数残っている。今回、この歴史ロマン漂う“史跡めぐり”をご紹介する。

 永い間、砂に埋もれていた元寇防塁が注目をあびるようになるのは大正時代である。最初は現状調査であったが、1913年初めて今津で発掘が行われた。この時、中山平次郎博士がこれまで“石築地”と呼ばれていたものを、新たに「元寇防塁」と命名した。1931年(昭和6年)、西から今宿・生の松原・姪浜・西新・地行・箱崎の7地区が国史跡に指定され、さらに1981年今津地区が追加指定となり保存されている。

 主な史跡をご紹介しよう。

〔惴纏魁〇綸臠湘腓遼姪戝爾飽銘屬垢詆弦癸隠毅.5mの山。1895年、山頂に「蒙古山之碑」が建立された。
∈D邸仝殿紊ら中世の対外貿易港。今津の元寇防塁は海岸の松原の中に約3劼砲錣燭蠡海、一部を公開。蒙古塚・「蒙古殲滅之處」碑・勝福寺・誓願寺があり、東には毘沙門山がそびえる。
今宿 長垂海水浴場の松原の中に元寇防塁が残る。
だ犬両掌供嵬惴貼瑛莖┿譟廚防舛れた元寇防塁が松原の中に続く。
ヌ塗諭‐戸公園と姪浜北団地の北側に元寇防塁が残る。
西新 文永の役の際、ここから元軍が侵入。現在西南大学南側を公開するとともに、その西側にも残る。祖原山は標高33mの山で、文永の役の時、蒙古軍が陣を敷き、山頂には「元寇古戦場跡」の碑が建つ。
博多 博多小学校から元寇防塁と考えられる石塁を発見。聖福寺・承天寺・大乗寺(跡)・櫛田神社などがある。
東公園 文永の役の古戦場跡、亀山上皇銅像・日蓮上人銅像・元寇資料館がある。
箱崎 元寇防塁は地蔵松原公園に残る。
志賀島 二度に渡って戦場となった。蒙古軍供養塔弘安の役のとき高野山の僧侶一行がこもり、蒙古軍の降伏を祈祷したという。

 このように、博多には元寇の遺跡が多数存在する。春の足音もそろそろ聞こえてきた。700年の昔に想いを馳せ、訪ねてみてはいかがだろうか?



「蒙古襲来絵詞」に描かれている季長の後方にある“塩屋の松”は、現在、福岡市鳥飼の埴安神社付近にあった松の木であると言う説や、この描かれた松の木を使った社号額が埴安神社に奉納された、という説など、諸説言い伝えが残っている。


「蒙古襲来絵詞」は、文永の役・弘安の役、二度の蒙古襲来における肥後の御家人、竹崎李長の活躍を前後二巻にまとめた絵巻物。(九州大学付属図書館所蔵/模本)


文永の役で蒙古軍の侵入を余儀なくされた西新地区。粘土による基礎工事や石材の間も砂と粘土を詰めるなど、独特な工法となっているが、工事を担当した国はわかっていない。(写真は西南学院大学横)


「元寇防塁」築造当時の姿も描かれている(蒙古襲来絵詞)。弘安の役前までには全て完成しており、元軍は博多への上陸を断念して、志賀島沖に船団を停泊させたという。

海岸の松原の中に約3kmにわたり続いている、今津地区の元寇防塁。当時、約3mの高さまで石を積み上げられていた。現在は風化を防ぐため一部のみを公開。



◎参考
福岡市 文化財
HP→ http://bunkazai.city.fukuoka.lg.jp/

福岡市 元寇防塁に関する情報案内
HP→http://www.city.fukuoka.lg.jp/keizai/kankou-s/charm/genkobouruijoho.html

※スマートフォンの方はこちら