器特集

Date:2015年03月27日14時35分 | Category:特集 | Writer:ぐらんざ編集部


初期伊万里様式
陶石を生成する技術がまだ発達していなかったため粒子が表面にシミとして表れていること、素焼きを行わないまま釉薬掛けをして焼くため柔らかな釉調であること、絵付けがやや荒いといった特徴があります。

写真=佐賀県立九州陶磁文化館所蔵

17世紀初頭に始まった長い歴史
もともと佐賀県有田町を中心に焼かれていた磁器が有田焼。当時はその積み出しが伊万里港から行われていたので「伊万里」とも呼ばれています。その発祥は17世紀初頭、朝鮮人陶工による陶石の発見によるものでした。初期伊万里と呼ばれる早い時代の作品は、日本でもおなじみの中国・景徳鎮の作風に影響を受けたと言われ、白地に藍色一色で図柄を描いた比較的シンプルな作品が見られます。
 その後1640年代には中国人陶工による技術革新が行われ、一次焼成の後に上絵付けを行う古九谷様式というスタイルが現れます。が、この古九谷はわずか50年ほどで消滅してしまうのです。加賀の九谷焼との関係も含め、歴史的には諸説ありますが、いまだ結論は出ていません。

柿右衛門様式
1670年代から1690年代にかけて流行。余白を生かした絵画的な文様が特徴。ヨーロッパに数多く輸出され、ドイツのマイセン窯やフランスのシャンティイ窯などでも模倣された、海外での人気が高い磁器です。

写真=佐賀県立九州陶磁文化館所蔵

そして豪華な傑作群は世界各国へ
変わって1670年代から流行し始めたのが、柿右衛門様式です。赤や黒で細く輪郭を描いた後、赤、緑、黄で着色した文様が特徴で、濁手と呼ばれる乳白色の余白を生かした作風となっています。柿右衛門様式は海外での評価が高く、おもに輸出用の最高級品として生産されていました。
 そして17世紀末頃になると、金襴手様式という流行が生まれます。これは、赤や金の絵の具を贅沢に使い、花文様などを器面いっぱいに描いた作風は、経済的に豊かだった元禄時代の気風を反映したものと言われています。ヨーロッパなど海外でも人気が高く、大型の壺など多くの作品が世界各地の博物館や城に鎮座しています。
 歴史の変遷の中では技術革新も進んでいきます。明治初頭、西洋の知識を得るために招へいされたドイツの科学者ワグネルが石炭窯の使用を伝授、また安価なコバルト絵の具の導入も教えたためにそれらは全国的な流行となっていきました。

金襴手様式
江戸時代の元禄期(1688〜1704年)に誕生し、現代にも引き継がれている様式。金彩などもまじえた豪華な意匠は装飾効果が高く、特に輸出されたヨーロッパで好まれ、現在でも大型の壺など多くの作品が世界中で愛されています。

写真=佐賀県立九州陶磁文化館所蔵

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磁器と陶器ってどう違う?
一般に磁器は石もの、陶器は土ものなどと呼びますが、これは原料となる粘土質を指します。そしてその質感は、磁器は硬質でツルリとした仕上がり、陶器は柔らかく素朴な風合いが身上です。磁器のほうが高級といった見られ方をしがちですが、陶器でも名のある作家の焼いたものは大量生産の磁器よりよほど高価な場合も。
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大正時代になると、工業用製品などの需要が増え、生産量も増大。そして現在の有田焼は食器の生産が中心となっていますが、ほかにもタイル、ファインセラミックス製品など工業用製品の製造も変わらず盛んです。また、大正5年に始まった「蔵ざらえ」は有田陶器市(左カコミ参照)と名前を変えて、現在まで不動の人気を博しています。
 時代とともに様式を変え、400年の歴史を歩んできた有田焼。あらためてお気に入りの逸品を探してみませんか?

近代の有田焼
幕末を迎えると、美濃や瀬戸などでも磁器産業が盛んになり、肥前の磁器の独自性は薄れてきました。しかし、明治期になってヨーロッパを中心に開かれた万国博覧会で高い評価を得、ジャポニズムの流行を生み出しました。

写真=佐賀県立九州陶磁文化館所蔵