終戦特集:70年前の街の記憶を訪ねて

Date:2015年07月29日16時09分 | Category:特集 | Writer:ぐらんざ編集部
終戦特集 70年前の街の記憶を訪ねて。

 終戦から70年。
戦争を体験した人が年々少なくなっているいま、ふたたび平和の尊さが問われる時代となった。
福岡と広島、戦争を経験したふたつの街の記憶を訪ねることで、戦争とは平和とは何かを改めて考えてみたい。


福岡税務署から西方向(福岡市博物館所蔵)


福岡の街に刻まれた空襲から戦後復興の記憶

 我が街・福岡も、全国の大都市と同様に昭和20年に無差別な空襲により甚大な被害を受ける。
空襲から戦後復興までの街の記憶を辿る。



天神から博多港方面/現在の天神4丁目あたりの風景。
旧松屋百貨店(現・ミーナ天神)から博多港の方向を撮影している。(福岡市博物館所蔵)


自分たちの街が消えた福岡大空襲

 6月19日。
山笠を間近に控えた博多の街は、戦時とはいえ山を楽しみにする人々の熱気で久しぶりの賑わいをみせていた。梅雨の合間の晴れ間、久しぶりに星空が綺麗に見えたその夜、午後10時35分に警戒警報が発令される。同55分、それはけたたましいサイレン音を発する空襲警報へと変わった。ボーイングB29爆撃機が福岡南部の背振山を越え福岡の街に来襲してきたのだ。街の上空へさしかかった午後11時11分、ついに焼夷弾投下が始まる。

 闇を切り裂く火を噴きながら、雨のように落ちる無数の焼夷弾。木造の家屋が多い街はあっと言う間に火の海となる。防空壕へ、川へ…逃げ惑う人々の上にも焼夷弾は容赦なく降り注ぐ。親を呼ぶ声、子供を探す声、建物が燃える音、倒壊する音、燃え上がる炎の柱で灼熱の通り。そのとき、福岡は文字通り地獄へと化してしまっていた。一夜明けた6月20日の朝、日が昇るとともにあらわになったその景色を当時の人々はどんな想いで見たのだろうか。

 あれから70年経ち、空襲の傷跡を見ることは少ない。しかし、焼け野原と化した福岡・博多の街の戦後復興計画として新設・拡幅工事をされた昭和通り、大博通り、渡辺通りは、今も人々の生活を支えている。繁栄した福岡の街で暮らす今だからこそ、70年前に何があったのかは忘れてはならない。



現在の渡辺通り。
天神のメインストリートとして活気溢れている(提供:福岡市)


終戦――。国内最大の引揚港としての役割

 終戦を迎えると、博多は大きな役割を果たすこととなる。終戦直後に博多港は「引揚援護港」として指定を受け、旧満州をはじめ、朝鮮半島や台湾などに渡っていた人々の受け入れを行うこととなる。その数、一般国民約97万人、軍人・軍属約42万人の合計139万人。

 特に旧満州や朝鮮半島北部からの引揚は、ソ連軍侵攻のため帰国の道中は困難を極めた。命からがら逃げ延びたその眼に、ようやく見えた日本の景色、博多の景色はどのように見えたのだろうか。
 
 博多港へ降り立った人々の中には、病人や両親と死に別れた孤児、心と体に傷を負った女性たちの姿もあった。病人は博多引揚援護局が博多区の聖福寺に設置した「聖福病院」に、孤児たちは孤児収容施設「聖福寮」に保護。女性たちは「二日市保養所」で治療を受けた。福岡は傷ついた人々を癒し、日本での生活の第一歩を歩む支援をしていた街でもあったのだ。

 平成8年。博多港に、豊福知徳氏作「博多港引揚記念碑(那の津往還)」のモニュメントが建てられた。そこには当時の福岡市長による、悲惨な体験を二度と繰り返さないこと、そして永久の平和を願う碑文が刻まれている。



3,500人の引揚者を乗せ、博多に入稿する江の島丸。
この船は撮影の翌年、上海からの引揚者を乗せて帰国中に沈没した。


満州からの引揚者たちの中には親と生き別れになった子供も多かった。


帰国し安堵する家族。手に持つ白い包みは遺骨か。


博多港引揚記念碑には、博多港が引揚の港として果たした役割を忘れないようにとの想いも込められている。


戦後復興のシンボル、新天町の誕生

 昭和20年秋、戦争が終わったとはいえ依然福岡の街は空襲の爪痕が大きく残ったままであった。
“商人の町・博多”の見る影もなく、街は闇市が横行する無法地帯と化している有様。そんなとき、福岡市民に希望の光を見せたのが新天町の誕生だ。

 きっかけは西日本新聞社による郷土再建活動案。同社の再建案のひとつとして、当時の新聞社別館(現・住友生命ビル)の裏手に広がる焼け跡に「西日本中央市場」を建てようとする計画があがった。創立準備委員として白羽の矢が立てられたのは空襲で店を焼かれた老舗商店の店主たち。
構想は西日本新聞紙上にも発表され、広く参加店が募集された。新しい商店街のためには出来る限り一流店を集めなければならないと、遠い疎開先まで勧誘に赴く委員もあったという。かくして、翌10月15日、晴れて落成創業式が執り行われ82店舗が開店した。

 新天町の開業は多くの人々に復興の喜びと希望をもたらし、それから69年経つ今も市民に愛され続けている。



完成直後の新天町。完成まで待ちきれず水道や電気が通る前に引っ越してくる店主もいたそう。


今や新天町は天神のシンボル的存在だ。


◎協力・写真提供/新天町商店街商業協同組合