はかた宣言・67 追い山起源

Date:2017年01月17日18時11分 | Category:はかた宣言 | Writer:ぐらんざ編集部


 前回ご紹介した「追い山起源」の文章は、引用本を2〜3冊もとにして書いたのだった。
オリジナル史料は『櫛田社鑑 』(以下社鑑※1と略)という、櫛田神社の所蔵文書だ。
書かれたのは文化4年(1807)で、210年前になる。
市の総合図書館のマイクロフィルムで閲覧可能だし、コピーもできる。
原典を読むのが一番なので、コピーを入手した。毛筆の手書き、くずし字だ。追い山起源の部分は全16行×約20字=320字。おそるおそる読む。ひと晩で8割方読めた。

「雪中花水祝い※2」を読んだのが勉強になったらしい。あれは木版摺で、字が見やすい。漢字にはたいがい読み仮名がついている。それに内容がおもしろいので、くずし字辞典をめくるのも楽しかった、という古文書識字率アップのいきさつがあって読み解いた、追い山起源の原文 がこれでアル。

「人形師小堀古記※3に曰く、貞亨※4四年の事なるが、土居町・助右衛門の娘を、竪町・義右衛門という者の子の新婦とす。その正月に、婿は女房の里およびその近所へも年礼に行きしを、土居の若者ども打ち寄り、花婿へ笹水を祝い、のちには婿に桶をかぶせて、その脇にて酒宴せし最中に、義右衛門この事を聞きつけて走り来る。竪町よりも追々に群がり来りて、桶ぶせの脇にて喧嘩とはなりたるなり。

 かくて、この年の作り山当番は、土居町中※5の番・三番山なり。官内町は四番山※6なり。この流れの若者ども、途中の昼食を喰わずして山笠を舁き行き、三番山をさんざんに追いて笹水の意趣をはらしたる。それよりして、山を追うことは始まりしとかや。故に貞亨四年より途中の昼食はやみ、今に至るまで当番にて、これを渡す」(カタカナのルビは『博多山笠記録※7』による。入手コピーでは判読不能)

 京風のゆったりした山笠が、追いつ追われつへと大変革したのは、この貞亨4年の一件がきっかけだった。さて文頭の、人形師小堀古記というのは、小堀さんちの古い記録ということだけど、今は失われているようだ。小堀さんのことは、社鑑の別項に説明がある。
「永享9年(1437)丁巳春三月に博多より京都木偶師土偶師※8を召抱えんとて上京せしが、小堀善左衛門とて四条に居住せし木偶師を召抱えて帰国す。櫛田社内へ居宅を作りて津中より扶持方を遣わし※9、その年の作り山に人形を作りて甲冑を着せ…以下略」

 この記事から、山笠に人形を飾るのが、永享9年に始まったと考えられる。それにしても、くずし字が読めたのは嬉しかった。積ん読していた『古文書入門くずし字で「徒然草」を読む 』を読む。読めた(ほぼ)。「水」がわかったときの奇跡の人ヘレン・ケラーみたいだ。狂喜乱舞の心境!

 暗転。人魚のお寺・龍宮寺で年一度、博多連歌をやっている。お世話になっているK先生の今年の賀状。新年の和歌のくずし字※10がまったく読めやしない。読み方が小さく印刷されてはいたけども。1歩進んで2歩さがる。


※1)鈴木牧之…1770?1842。山東京伝・滝沢馬琴・十返舎一九・大田蜀山人らと交遊。

※2)雪中花水祝い…鈴木牧之著『北越雪譜』の一文。12行×約31字で10頁(内2頁は挿絵。文字もある)。

※3)原文…常用漢字・現代かなにして句読点をつけた。

※4)貞亨…じょうきょう。前回、ていきょうと読みを誤った。付け焼き刃の勉強はぼろが出る。

※5)土居町中…土居町や竪町など上・中・下がある。

※6)四番山…この年は四番山石堂町流(竪町も所属)、官内町が当番。表題「王代記」。三番山土居町流は表題「山門攻」、当番は土居町中・上(表題ほか、落石栄吉『博多祇園山笠史談』博多祇園山笠振興会S36より)

※7)博多山笠記録…博多祇園山笠振興会・S50。社鑑の山笠関係の記事は、53頁以下に翻刻してある。追い山起源のあと、社鑑80頁分をある程度読んだ直後に、去年買って積ン読していたこの本の翻刻に気づいた。校合したので、追い山起源の内容は保証できる。

※8)木偶師土偶師…木偶は本来、でくと読む。木彫人形・操り人形・人形全般の事。でくの棒の、でく。土偶師は土人形師だろう。

※9)扶持方を遣わし…給料を支払って、の意だろう。古文書を読める事と意味を理解できる事は別問題。

※10)古文書入門くずし字で「徒然草」を読む…中野三敏・角川学芸出版。著者は九大名誉教授。昨年博多町家ふるさと館の「櫛田文庫展」シンポジュームにご出席くださった。昨年文化勲章受賞。


長谷川法世=絵・文