世は万華鏡(50)

Date:2017年07月19日13時01分 | Category:世は万華鏡 | Writer:ぐらんざ編集部


逃亡の希望と絶望


 元中核派の活動家で、指名手配中だった大坂正明容疑者(67)が逮捕された、と新聞が伝えていた。私と容疑者は同い年、彼が投げた火炎瓶で死亡した中村恒雄巡査も同学年だ。

 私はこの事件の翌年に社会人になった。定年退職後の今は妻と時折、モーニングサービスに出掛け、碁会所に顔を出し、スポーツジムで汗を流す日々。実に平凡な月日である。

 一方の大坂容疑者はお尋ね者としてこの歳月、自分の手配写真をすり抜けながら逃げ回っていた。スリリングと言えばスリリングだろう。だが、凡人の上に「超」が付く私にすれば、そんな緊張に耐えることなど肉体的にも精神的にも出来ない相談である。

「超」凡人は考える。なぜ自首して罪を償い、人生をリセットしようとしなかったのか、と。事件の逮捕者たちはすでに刑期を終え、どこかで静かに暮らしているだろう。大坂容疑者にはどうしてそれが出来なかったのだろう。革命という見果てぬ夢の末路というには失った時間があまりにも大き過ぎる。

 高野長英。江戸後期の蘭学医である。シーボルトの弟子として当代一の見識を謳われたが、幕府の鎖国政策を批判して終身禁固の身となる(「蛮社の獄」と呼ばれる弾圧事件)。

 小伝馬町に囚われて5年、前途に希望を見いだせない長英は牢外の下男を使って獄舎に放火させ、脱獄する。幕府は人相書と手配書をくまなく貼り、威信をかけた大捜査網を敷く。

 探索の目が光る中、長英は門人や牢内で面倒をみた侠客らに助けられ、各地を転々としながら念願の兵書翻訳に取り組む。やがて硝石精で顔を焼くという壮絶な変装を施すが、やがて捕縛される。
 大坂容疑者と長英を逃亡者として重ね合わせる。しかし、同じ逃亡劇とは言え、決定的な違いがある。長英のそれは逃亡の先に希望があるのに対し、大坂容疑者の逃亡には絶望の暗い深淵しかないからだ。

 長英は「自分が必要とされる時代が必ずやってくる」との不動の信念があった。それが苦難の逃亡を支えたのだった。事実、その無念の死からわずか3年後、浦賀に黒船が来航し、日本は鎖国から開国へと転じた。

 大坂容疑者が逃亡を始めたころ、あれほど熱っぽかった「共産主義革命」の言葉はいますっかり息絶えた。陶酔と高揚の時代はバックミラーのはるか後景へと去ったのである。往時茫々夢の如し。同い年として様々な思いが去来する。

(ジャーナリスト。元西日本新聞記者)



馬場周一郎=文
幸尾螢水=イラスト