世は万華鏡(51)

Date:2017年08月18日13時01分 | Category:世は万華鏡 | Writer:ぐらんざ編集部


美しく老いるのは難しい

 20年ほど前の現役記者時代、自分史講座の講師を務めた際、受講者のお一人の住所欄に「八女郡黒木町」とあるのが目に留まった。月足美智子さんだった。

 黒木町は小学校入学から三年生までを過ごした思い出の地。懐かしさも手伝ってお声を掛けさせていただくと、町内の小学校に長年勤務しておられたという。これがご縁で賀状をやりとりするようになったが、最近は疎遠になっていた。

 そんな折、黒木在住の教え子松尾満留美さん(63)から、先生が春日市のシニアハウスに入居されているとの知らせ。合わせて「同級生の男性二人が歌のボランティア活動をやっていて、近々、先生のハウスを訪問します。馬場さんもお出でになりませんか」とお誘いを受けたのだった。

 当日、柴田志さんと吉原敬三さんのフォーク・デュオ「五円玉」が、「この広い野原いっぱい」「ふるさとは今も変わらず」などを熱唱、松尾さんも朗読で皆さんを魅了した。
 83歳の月足先生を囲んで松尾さん、柴田さん、吉原さん、そして私。「教え子大集合やね」。先生の笑みがそうつぶやいていた。

 何を隠そう!(それほど力む話ではないが)私もささやかなボランティアをしている。囲碁である。対局しながら、入居者をそれとなく観察していると、同じくらいの年齢同士でもとても若々しい方とそうでない方の差にハッとすることがしばしばだ。

 歳を感じるのは難しいことではない。60代から70代に入り、やがて80代がそこまでくればどんな人でも歳を取ったと認めざるを得ない。つまり、年齢がその自覚を迫る客観的目安となる。
 しかし、老いの認識には主観的要素というものもある。同じ70歳でも既に老いたと感じる人もいれば、まだ若いと考える人もいる。この違いはおそらく心身の健康状態と分かちがたく結びついているのだろう。

 病気に無縁で好奇心があり、前向きの気持ちを抱く人は老いから遠く生き、その条件に恵まれない人は老いゆく自分を日々受け止めながら暮らしている。

 一方で、深く考えさせられることがある。年齢を重ねることで滲み出る品性、思慮深さといったものである。これらを身に付けるのはスポーツジムに日参して筋力アップに励むのとは訳が違う。
 なぜなら、それは現在ではなく過去の生きてきた道―。つまりは長い歳月を掛けて熟成され、いまに結実したものだからだ。心も体も美しく老いるのは理想だが、煩悶多き凡夫にはやはり簡単ではない。」
(ジャーナリスト。元西日本新聞記者)



馬場周一郎=文
幸尾螢水=イラスト