世は万華鏡(52)

Date:2017年09月20日13時01分 | Category:世は万華鏡 | Writer:ぐらんざ編集部

『終わらざる夏』に思う

 千島列島の最北端にかつて日本領だった占守島がある。カムチャッカ半島からわずか12辧この島に、戦争が終わったはずの昭和20年8月18日未明、ソ連軍長射程砲の一斉砲撃が加えられ、急襲上陸が始まった。

「ソ連軍、占守島に不法侵入を開始す」との緊急電が現地から札幌の第5方面軍司令部に入ったとき、司令官の樋口季一郎中将は自衛のための戦闘を命ずるべきか、戦闘行為を禁じていた大本営の指示に従うべきか悩んだ末、反撃命令を発した。

 ソ連軍は1日で全島を占領し、千島列島を一気に南下し、北海道まで侵攻する計画だった。しかし、島には日本陸軍最後の精鋭戦車部隊が配備されていた。ソ連はその反撃を受けて大きな被害を出した。

 結局、ソ連軍は上陸地点に釘付けになったまま戦闘は長引き、8月21日にようやく終結した。もし占守島での頑強な抵抗がなければ、その後の日本はどうなっていたか。

 スターリンは北海道に臨時革命政府の樹立を企図していたから、侵攻が作戦通りに進んでいれば少なくとも釧路―留萌を結ぶ北半分はソ連に占領されていたに違いない。朝鮮半島の38度線のように北海道の真ん中に鉄条網が敷設され、民族分断の象徴になっていただろう。

 この占守の戦いを勇猛果敢な戦記ではなく、名もなき庶民の視点で描いたのが『終わらざる夏』(浅田次郎/集英社)だ。

 戦争末期の根こそぎ動員の異常さ、それに翻弄され、不条理と悲しみに耐え忍ぶ人たちの姿を丹念に描いた名作。この夏、終戦の日を挟んで時間を忘れて読み耽った。

 召集される者だけでなく、誰を徴兵するか決める立場の者、赤紙を届けにいく者、留守を預かる者、地方に疎開した子供と引率教師…。一人一人の心模様を見事な筆致で浮き上がらせていく。
 浅田はこの本で何を伝えようとしたのか。そのメッセージは作中人物の次の述壊に込められている。

「戦争とは命と死との、ありうべからざる親和だった。ただ、生きるか死ぬかではなく、本来は死と対峙しなければならぬ生が、あろうことか握手を交わしてしまう異常な事態が戦争というものだった」

 死とは、結局のところ、優れて個別、具体的なものであり、前線にせよ銃後にせよ、「戦死一般」という抽象的な死はあり得ない。「あの夏」は、日本人にとってまさに「終わらざる」ものなのである。

(ジャーナリスト。元西日本新聞記者)



馬場周一郎=文
幸尾螢水=イラスト