世は万華鏡(56)

Date:2018年01月17日14時27分 | Category:世は万華鏡 | Writer:ぐらんざ編集部


 両親が逝って七年あまり。暮らしていた自宅は空き家のまま放置してきた。しかし、年月を重ね、外観も内部もこれ以上ほっておけないほど劣化が進んだ。

 加えて、表と裏にクスの大木がある。表は樹齢二百年を超え、隣家の屋根に落葉が積るなどのご迷惑を掛け続けていた。裏は田んぼにまで枝が伸びてコメの収穫にも被害を及ぼしていた。

 思案の末、区切りの法要を機に解体し、二本のクスも伐採することにした。幼馴染の神主さんに来ていただき、お祓いをして我が家の「ご神木」だったクスに別れを告げた。一月末には、解体・伐採が終わる。

 旧冬、屋内を整理していると、甥が「こんなのがあったよ」と、姉、私、妹の三人が大宗を占めるアルバムをどこからか見つけ出してきた。両親が作ってくれた子供たち専用の写真集だった。あれから幾歳月、三人ともいまや見事な高齢者である。

 そのアルバムを手にして、数年前のあることをふと思い出した。それは福岡市の筥崎宮にお参りしたときのこと。フリーマーケットが開催中の参道を歩いていると、昭和の広告看板や映画ポスターが雑然と置かれた一角に出くわした。

 懐かしさから眺めていると、周囲にはモノクロ写真が散乱し、傍にはアルバムが…。沢山の家族写真が貼り付けられ、一枚は昭和10年、結婚式の記念写真。羽織袴の新郎、横の椅子には文金高島田の新婦、佐賀県の某町名とお二人のお名前が記されていた。

 この写真がなぜ、フリーマーケットに紛れ込んでいたのか。おそらく家が解体されるとき、身内が家の中にあった品一切の買い取りを業者に頼み、買い取った業者は仕分けせずに丸ごとフリマに出品したのでは、と推測したのだった。

 いま、全国に空き家が激増しているが、別の言い方をすれば、その風景は「ファミリーヒストリーが途絶える」ことなのだ。愛憎こもごもの歴史が詰まった家が姿を消す─それは生まれ、育った者には心の拠り所を失うことなのである。

 空き家ながら家があることで、掃除などで集まっていた姉、妹と顔を合わせる機会もこれから急速に減るに違いない。こうやってファミリーヒストリーはピリオドを打つのだろう。

 解体に合わせ、長い間仏壇に置きっ放しだった両親の遺骨を私の自宅に持ち帰り、枕元に並べて朝晩、手を合わせている。しばらくは一緒に過ごし、春が来たら樹木葬を、と考えている。

(ジャーナリスト。元西日本新聞記者)




馬場周一郎=文
幸尾螢水=イラスト