長谷川法世のはかた宣言84・无骨法師(むこつほうし)

長谷川法世のはかた宣言84・无骨法師(むこつほうし)


 博多山笠とも関連があると思われる京都祇園祭の「山」。藤原道長が驚いてやめさせたという、その「山」のルーツ、无骨(むこつ ※1)法師の話。

「長保元年(999)、雑芸者の无骨法師が大嘗会(だいじょうえ)の標山(しめやま ※2)に似せたものを社頭に渡したという有名な話がある。…時の執政者、藤原道長が禁じて捕縛しようとしたところ、雑芸者の无骨は逃げてしまった。ところが天神が大憤怒して…怪異があったという」(『中世京都と祇園祭(※3)』)

「…その夜…内裏ことごとく焼亡し、一条天皇は真夜中の十二時過ぎに腰輿(ようよ)に御して…避難される騒ぎとなった」(『祇園の祇園祭(※4)』)

 道長が禁止したというから、『御堂関白記』をめくった。なんと无骨の話も内裏の焼亡もまったく書いていない。というか、6月14日当日の前後1か月以上の日記がない(※5)。これは謎だけどテーマから外れるので割愛。

 道長は、13年後の長和元年11月16日、三条天皇大嘗会の標を検分し(※6)、22日にも標を先頭にした悠紀・主基の行列を、妻源倫子(ともこ)と見物にでかけている。けれど、夫婦は行列に遅れて見ずじまいだった。『儀式』という朝廷の儀式書によると、悠紀・主基の行列は標を先頭に5000人余りだとか。幅85mとも言われる朱雀大路は人人人であふれかえったことだろう。

 閑話休題。无骨の話は、『本朝世紀(※7)』という歴史書にかかれている。事件の151年後、久安(きゅうあん)6年(1150)から編纂されはじめた歴史書だ。原文(といっても翻刻(※8))は長いので、ほんの一部を引用しよう。ここからちょっと話はややこしくなるよ。

(无骨が)「造材擬渡彼社頭。…件材作法。宛如引大嘗会之標。」

〈(无骨が)材を造るに、かの社頭に渡すに擬し、…件の材の作法は、あたかも大嘗会の標を引くがごとし〉と読み下したがどうだろう。この短い漢文でも、しろうと頭を悩ませるけど、冒頭の引用文と照らし合わせて、そんなものかと納得するしかない。

 翻刻本は、頭注(※9)に、「造材」の「材」を「村」と書く写本がいくつもあると書いている。ところが『京都の神社と祭り(※10)』という本は、原文は「村」だが「柱」の誤字だとして、「造柱」つまり「柱を造った」と読んでいる。専門家が材だ、柱だ、村だというんだから、いわんや自習者に於いてをやだ。

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