長谷川法世のはかた宣言95・あるじもうけ

長谷川法世のはかた宣言95・あるじもうけ


『筑前国続風土記(ちくぜんのくにしょくふどき)※1』の博多山笠の項に、「あるじもうけ」ということばがでてくる。

 雨なと久しく降りて、作(つく)り山(やま)も装(よそお)わねば※2、山見んとて、遠きより来(きた)れる遊客(ゆうきゃく)のともがらは、日数を多く経(ふ)るまで宿(やど)り侍(はべ)る故(ゆえ)、貧しき家は後にはあるじもうけに倦(う)みて、互(たが)いにわびしげに見ゆるもおかし。(原文※3を読みやすくした)

 意訳:長雨だと山笠も飾りつけしないし、山見物に来た遠来の遊客たちは何日も滞在するので、貧しい家は〈あるじもうけ〉に疲れ、主客ともわびし気にみえておかしい。

「あるじもうけ」は、原文では「あるしまうけ」だが、はじめまったく意味不明だった。「あるし」を「あるじ」と濁らせるんだと気づいてからも、「主(あるじ)が儲(もう)けに倦みて」としか読めなかった。しかし、儲けすぎてわびしげに見えるというのも変だ。

 辞書やネットで調べると、あるじもうけは「饗設(あるじもう)け・饗設(あるじもう)」と書くのだそうな。意味は、「もてなし・饗応・ふるまい」のことで、「主人がふるまう」意味が大きいようだ。そして、「あるじ」と略すこともあるという。でも、饗をあるじと読むなんて想像もつかない。手持ちの漢和辞典※4の「饗」には、饗設という熟語も、あるじという訓読みもないし。

 筑前国続風土記で「あるじもうけ」を知ったのは10年近く前だった。一語とは思えなかったし、辞書には載っていないような気がしていた。辞書を引いたのは4~5年前だけど、それでも何となくぴんとこなかったので、すっかり忘れていた。もう一度調べる気になったのは、買って10年目に読みはじめた『藤原道長御堂関白記※5』のなかに「朝饗(あさのあるじ)※6」「還饗(かえりのあるじ)※7」ということばを目にしたからだった。また、御堂関白記が現代語訳なのにあんまり読みすすまないもんだから、頭休めに芭蕉の『おくのほそ道※8』を読みはじめたところ、なんと「あるじ」が書かれていた。

「六月三日、…南谷(みなみだに)の別院(べついん)に宿して憐愍(れんみん)の情こまやかにあるじせらる」憐愍の情以下は「心こまやかにもてなしてくれた」と訳されている。

 本来、酒はたまうもの・たまわれるものである、と確か柳田国男の『木綿以前のこと』に書いてあったとおもう。酒の保存がきかなかった時代、だいじな穀物でつくる酒は上流の家しかつくれなかった。割り勘・会費制の飲み会がふつうで、上司のおごりも断ってしまう現代には、あるじもうけということばはなじまないかもなあ。

※1)筑前国続風土記…著者貝原篤信(益軒)・名著出版:85頁
※2)作り山も装わねば…山小屋のなかった時代は今のように何日も前から山を飾ることをしなかった。
※3)原文…雨なと久しくふりて、作り山もよそほはねは、山見んとて、遠きより来れる遊客のともからは、日数を多くふるまてやとり侍へる故、まつしき家は後にはあるしまうけにうみて、たがひにわびしげに見ゆるもおかし
※4)漢和辞典…新漢語林第二版。
※5)藤原道長御堂関白記…全現代語訳(上)倉本和弘訳・講談社学術文庫。原本『御堂関白記』はユネスコ世界遺産・世界最古の現存直筆日記。長徳4(998)年から治安元(1021)年まで、道長が33歳より56歳までの日記。
※6)朝饗…電子辞書・ネットで検索できない。単なる朝食か。(上の本28頁)
※7)還饗…かえりあるじ。1.賭弓(のりゆみ)や相撲の節会(すまいのせちえ)の後、勝った大将が自宅へ戻り味方の人々にもてなしの宴をすること。2.賀茂神社・石清水八幡宮の臨時の祭りなどの後、勅使や舞人一行が宮中へ戻ってから賜る宴。(上の本73頁)
※8)おくのほそ道…松尾芭蕉の俳諧紀行。引用は角川書店編ビギナーズ・クラシックス「おくのほそ道(全)」43頁

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