長谷川法世のはかた宣言7・唐物

長谷川法世のはかた宣言7・唐物


さて、貞観12年(870)に発覚した「藤原元利万侶(ふじわらのがんりまろ)*の謀(はかりごと)」とは何か。結論からいうと密貿易です。私的な断定ですけど。

大宰少弐(だざいのしょうに)(次官)を命じられて足掛け4年、元利万侶が「遠の朝廷(みかど)」で見たもの。それは博多湾に来航する唐や新羅の商船。鴻臚館の客館*に滞在する大勢の唐商人たち。そして陸揚げされる舶載品、つまり唐物(からもの)*。つまりは宝物の山でした。

欲しい…。元利万侶ならずともだれもが唐のブランド品を欲しがっていました。

このころ唐とは最後の遣唐使船が出帆して32年、新羅との正式な国交は途絶えていました。みんな唐物に飢えていたんです。

まだ日本には海外貿易商人はいませんでしたが、唐や新羅では海商がすでに登場。それが日本に年一度か二度やって来ました。年一度だってこのころの日本にとっては驚くほど頻繁なことでした。遣唐使だって10年とか20年に一度だったんですから。唐では国家使節以外は原則出入国が禁止で、海商にはわずらわしい手続きと賄賂と高い税金がかけられました。日本は関税がなかったのでいい儲け口だったんですね。

また、国家交流において超大国中国は朝貢しか受け付けません。日本を含め諸外国の正式使節団は特産品を中国に献上しました。そのかわり中国皇帝は献上物以上のお土産をくれました。朝貢というのは朝貢する国にとっては儲かる貿易だったんです。

博多湾に到来した唐物は大宰府の役人がまず朝廷に必要な品々を砂金や絹などで買い上げ、残りを大宰府官人や富豪たちに交易させました。朝廷に「先買(さきがい)権」があったんです。ところが、肝心の官人をはじめみんなが先を争って買占めるんです。朝廷の分を先に選り分けろと命令するのに守らない。

もう大宰府には任せておけない。朝廷は先買役人の唐物使(からものし)*を京から直接派遣します。けれど朝廷の高官たちが唐物使より先に使者*を飛ばして買い漁ってしまうんですね。

元利万侶が密貿易で唐物を手に入れ、それを賄賂にして昇進したい、と考えても不思議はありません。

元利万侶は新羅商人と結託して新羅の国書を偽造し、新羅海賊警備の厳しい博多を避けて有明海へ新羅商船を回そうと考えたのではないでしょうか。筑後の下役人*佐伯真継(さえきのまつぐ)は大宰府から届いた書類の点検をしていて不正に気づき訴えでたのでしょう。

同様の事件に27年前、文室宮田麻呂(ふんやのみやたまろ)を謀叛*の罪で陥れた藤原氏の策謀がありました。では、絶大な権力者藤原氏の一員である藤原元利万侶の事件の背景はなんなのか。危うし元利万侶、次号を待て!

*元利万侶…三代実録本文では元利萬侶。今の本は万や呂が混用される。万と侶にする
*客館…平成23年12月太宰府市西鉄バス操車場跡の遺跡が客館であると太宰府市教育委員会が発表。唐海商は50人から100人。朝廷はそれを唐の使節と見なし滞在費をだして大宰府に接待させた。滞在は半年から一年に及んだ
*唐物…従来は単なる輸入品とされていたが近年は日本王権が「先買権・独占権」を意識し外来品を「威信材=ステータスシンボル」と位置づけていたなど新たな研究分野となっている
*唐物使…9世紀後半から朝廷は商船来航のつど唐物使を直接派遣。ふつう天皇直属の蔵人から選ばれた。中国でも830年代後半に市舶司という宦官が朝廷から直接派遣されるようになった。唐物使は市舶司をまねたものだろうが、時期が近く、国際情報の伝達の早さがわかる。
*大宰府・平安京間は飛駅(早馬)で4日
*筑後権史生の佐伯真継が筑後にいたのか実は不明。応天門の変で伴善雄を訴えた備中権史生大宅鷹取は備中ではなく左京の住。
*承和10年(843)前筑前守文 室宮田麻呂が新羅商人の元締・張宝高と通じ謀叛を図り伊豆に配流された冤罪事件。

【資料】
■「日本の対外関係2 律令国家と東アジア」荒野泰展ほか編/吉川弘文館
■「大宰府古代史年表」川添昭二監修・重松敏彦編/吉川弘文館
■「遠の朝廷太宰府」杉原敏之/新泉社
■「唐物と東アジア 舶載品をめぐる文化交流史」川添房江・皆川雅樹編/勉誠出版
■「モノが語る日本対外交易史 七—十六世紀」シャルロッテ・フォン・ヴェアシュア/藤原書店 ほか

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