ハットをかざして 第154話 コピーライター?

ハットをかざして 第154話 コピーライター?

中洲次郎=文 やましたやすよし=イラスト


 50年前、まだコピーライターという仕事は、世に認知されていなかった。
 戦前から戦後は、「広告文案家」と呼ばれていたが、作家でさえ「文士」と呼ばれており、画家、書家、評論家など一家を為す人ならともかく、「家」を付けることは烏滸がましい。せいぜい「広告文案士」、だがこれもまた烏滸がましい。弁護士、公認会計士、税理士ほど偉くはない。「広告文案代書屋」が適当であろうと思うが、漢字の連なりが長く重い。そこで広告の本場アメリカに倣って「コピーライター」と呼称するようになった。
 当時、日本にもやっとコピー機が出始めていた。湿式の青焼き機である。田舎の父が人に説明するによく分からん職業名だとなじってくる。親戚の多くが「つまりコピー機メーカーに就職したのか」と問うらしい。そこで「企業や商品の代書屋だ」と説明してもらうことにした。
 戦前戦後にあった「恋文の代書屋」ならまだ粋で情緒もあるが、商品のことを仲人口で書くのだから色気もない。商品の長所だけを取りあげて、己を殺して書くのだから、もの哀しい職業ではある。作家、戯曲家、詩人、作詞家、エッセイスト、脚本家とは同じ文章を扱っても、雲泥の差なのである。
 コピー室の朝は遅い。9時前に出勤しても、先輩方が現れるのは10時―11時、皆、手に赤鉛筆と競馬新聞を持って現れる。風体はGパンにGジャン、コンバースのスニーカーにロングヘアー、レイバンのサングラスをかけ、多くは髭を蓄えている。サラリーマンのくせに、リベラル自由人を気取っている。しばらく席にいると、やおら会社の原稿用紙を丸め小脇に抱えていずくかへと消えていく。次に帰って来るのは昼の2時くらい、3時になると出先版に喫茶店の名を書いて、また消えていく。5時過ぎに戻り、さて本格的に仕事に精出すのである。夜10時くらいまでコピーを書いて、得心のいったところで、夜の町に消える。
 我々、コピーライターの卵は先輩たちが帰るまで席にいる。彼らが帰れば、机上に伏せてある原稿用紙をはぐって勝手に読む。おおむね3Bから5Bの鉛筆で書かれている。キャッチフレーズはA4・200字詰めの原稿用紙1枚に1本を費やし、リードコピー(見出し)とボディコピーは次の紙に。商品スペックはまた次の紙にと分けて書かれている。会社の原稿用紙は3タイプある。グラフィック(新聞、雑誌、ポスター、カタログ)用はこのA4、次にテレビCM用はB4サイズで、上部に空白があり、そこに絵コンテを描くのである。あとラジオCM用、これはB5サイズで、シチュエーション、登場人物、台詞、ナレーションを明解に分かりやすく縦書きで書かねばならない。これら3通りを、盗み見して、書き方の要領を覚えていくのである。
 ある日、先輩の書いた企画書とコピー文案をクライアント(広告主)用に6部作れと云われる。プレゼンテーションに行くのだが、青焼きコピー機の具合が悪く、出てくる紙が真っ青になって読めないからだ。6枚の原稿用紙の間に黒のカーボン紙5枚を挟んで、清記させられた。
 これこそ、まさにコピーライターだった。

中洲次郎
昭和23年、大分県中津市生まれ。
博報堂OB。書評&映画評家、コラムニスト、エッセイスト。
RKB毎日放送「今日感テレビ」コメンテーター。
近著「伊藤野枝と代準介」(矢野寛治・弦書房)
新刊『反戦映画からの声』(矢野寛治・弦書房)

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