ハットをかざして 第146話 丁度いい

ハットをかざして 第146話 丁度いい

中洲次郎=文 やましたやすよし=イラスト


 田舎町の小さな飲み屋の子に生まれたせいか、幼い頃からどこかニヒルで生きることに白けていた。父母と姉と私4人は店から離れた6畳一間で暮らしていた。それも西陽しか当たらぬ路地の奥の奥である。便所が店にしかなく、夜、催せばいちいち店まで行かなくてはならなかった。泥酔客が小便器にもどしていれば、それを掃除するのは小学生の私の仕事で、ビニール袋に吐しゃ物を貝杓子ですくい、底の目を細い竹串で貫通させ、水を何度も流した。待ってる客に「急げ」と急かされ、謝りながらの屈辱的な仕事だった。
 友の家は違っていた。K医院の家は一間廊下で、庭には築山があり、池では鯉が泳いでいた。きれいなお母さんからケーキのおやつが出た。M製氷の家はもちろん築山があるが、池が川のようにつながり、やはり鯉が気持ちよさそうに池から池へ遊ゆう弋よくしていた。市長の親戚の家にも築山があり、池があり、おやつにスパゲッティが出た。美しいお母さんだった。K家具の家も築山と池、別に家と家との間に中庭があり土は苔むしていた。お母さんはコーヒーをサイフォンで入れてくれて、ケーキが出た。角砂糖が珍しく、3個も4個も入れてみた。友はハム無線をやっていたり、伝書バトをたくさん飼っていたり、汽車のおもちゃは8畳間いっぱいにレールを連結していた。
 幼いながらいろいろ考えた。なんでボクはこんな貧しい飲み屋の子に生まれ、彼らはこんな裕福な家に生まれたのだろう。ボクが悪いわけではない。彼らが優秀なわけでもない。この世は理不尽だ、生まれ落ちたときからすでに階層があり、区別され、差別されている。背丈も、美醜も同じだ。本人が悪いわけではない。それでも世間は美男子や美人を大事する。
 この町がいやで東京に出た。大学で徐々に友もでき、家に招かれるようになった。M君の家は麻布台の高台にあった。門から玄関までロータリーになっており、ロータリーの真ん中に築山があった。本庭はすべて芝生で、燐家との境に森があった。芝生には陶製のテーブルと椅子が置かれ、トンと云うものだと習った。お手伝いさんがコーヒーやお菓子をカートに載せて出してきた。お母さんはちょっとだけ顔を出した。高峰三枝子そっくりだった。品川御殿山のN君の家は全くの洋館で、玄関ホールは三階の高さまで吹き抜けで、家の中にエスカレーターがあった。ここもお手伝いさんが賄いをしてくれたが、お母さんもちょっと挨拶に来た。原節子そっくりだった。両家共に旧軽井沢に別荘があると聞いた。東京を見て、田舎町での嫉妬心は消えた。東京にも嫉妬しなかった。あまりにも突き抜けており、ただ嗤うしかなかった。
 良寛さんではないが、宿命を恨むことをやめようと考えた。飲み屋の家も、貧しさも、顔の粗末さも、氏素性も、すべて私には丁度いい。これから遭遇する人生の「幸も不幸も」、やはり私には丁度いいのだろう。すっと瘧が落ちた。

中洲次郎
昭和23年、大分県中津市生まれ。
博報堂OB。書評&映画評家、コラムニスト、エッセイスト。
RKB毎日放送「今日感テレビ」コメンテーター。
近著「伊藤野枝と代準介」(矢野寛治・弦書房)
新刊『反戦映画からの声』(矢野寛治・弦書房)

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