ハットをかざして 第63話

ハットをかざして 第63話

中洲次郎=文 やましたやすよし=イラスト


青春の咆哮

京王帝都井の頭駅を降りて、右に行った左側に小さな喫茶店があった。
学校帰り、ここのカウンターでしばし憩う。マスターは五十過ぎの男で、チョビ髭があり、演歌の古賀政男先生にそっくりである。
コーヒーはサイフォンで淹れる。ミルクがエヴァで、カップへの注ぎ方に一家言がある。まずはお手本を見せながら、
「部活、やってないの」
「ええ、ノンポリの、ルンペン・プロレタリアートです」
と、ニヒルに答える。
「君の学校で、ルンプロってことはないでしょう。せめて、プチブルとでも答えなさいよ」と、コーションが入る。

他に客も無く、暇だから、唄おうかと云うことになり、マスターがカセット式のカラオケ電蓄をカウンターに上げる。
マイクのコードを伸ばして、何か唄えと迫るから、この年大ヒットの「小樽の女」を選択する。三条正人風でなく、低く野太く哀しく歌う。

「いい声してるなぁ、低い地声に哀愁がある。二階で毎週、詩吟の会をやってるんだけど、入らないかい。吼山流と云うんだけど、知らない」
吼山流は知らなかったが、父が詩吟をやっており、幼い頃から耳に親しんではいた。門前の小僧で、少し詠えもした。

「部活やっていないなら、何かやった方がいいよ、青春は閑居して不善を成すから、やった方がいい、やった方がいい」と口説く。
思案していると、ポーク・ソティを焼いてくれて、「お腹すいているんだろ、これおごり」ときた。

土曜日の夜の会で、ほとんどが中高年のおじさんたち。
乃木希典将軍が金州城下で作詩した「山川草木」から練習に入る。

我が家は、父が乃木を崇拝しており、子供の頃、毎年のように下関は調布の乃木生家にお参りをしていた。当然、父もよく吟じた名漢詩である。
先輩方から203高地激戦の歴史教育を受ける。長男勝典が戦死したの報に接して、乃木さんが将軍としてではなく、父親として作った詩であると聞かされる。

♪山川草木うたた荒涼
十里風腥(なま)ぐさく新戦場
征馬前(すす)まず 人語らず
金州城外斜陽に立つ♪

筋が良いと皆さんから褒められる。
気をよくし、帰り道、井の頭公園に入り込み、池面に向かって吟じる。しばらく唸っていると、どこからともなくパトカーが音も無くやってた。お巡りが二人、私をはさみ職務質問をする。

「何をしているのか」
「詩吟の稽古をしている」
「本当か、ここはアベックの多いところだ。覗きではないのか」
よく見れば、ベンチというべンチに、草むらという草むらに、しな垂れかかったシルエットが、淫猥な空気を漂よわせている。

警官と云うものは、乃木を吟じる有為の青年を疑い、不埒なアベック共を取り締まらない。私は本末転倒をなじり、再び乃木を咆哮した。

中洲次郎
昭和23年、大分県中津市生まれ。
博報堂OB。書評&映画評家、コラムニスト、エッセイスト。
RKB毎日放送「今日感テレビ」コメンテーター。
近著「伊藤野枝と代準介」(矢野寛治・弦書房)
新刊『反戦映画からの声』(矢野寛治・弦書房)

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