長谷川法世のはかた宣言108・疱瘡山(ほうそうやま)

長谷川法世のはかた宣言108・疱瘡山(ほうそうやま)


 インフルエンザ ※1 は江戸時代にも流行した。流行のたびに江戸っ子は、「お駒風(こまかぜ) ※2 」とか「お七風(しちかぜ) ※3 」などと名前をつけた。

 流行(はや)り病(やまい)は、インフルエンザのほかにコレラ・麻疹(ましん)(ハシカ)・疱瘡(ほうそう)などがあった。

 疱瘡は天然痘のことで、えんどう状の瘡(かさ)が体中にできて、治ってもあとが残る。痘(とう)瘡・豌豆瘡(えんどうがさ)・裳瘡(もがさ)・疫瘡(えきそう)などとよばれた。天平7年(735)の豌豆瘡流行が『続日本紀』に書かれている。天然痘の文献初出だ。その2年あと、天平9年の記事 ※4 をみよう。

 「是年春疫瘡大發初自筑紫来経夏渉秋公卿以下天下百姓相継没死不可勝計近代以来未之有也」(このとしはるえきかさおおいにはっしはじめつくしよりきたり なつをへあきにわたり くぎょういかてんかひゃくせいあいつぎぼっしす(?)きんだいいらい(?))

 春、筑紫に発生した疫瘡(えきそう)が、どんどん広がって、夏から秋にかけ京に及んでパンデミックとなり、公卿以下天下百姓がばたばた死亡したというんだから、筑紫の者としては申し訳ない気持ちになる。

 さて、博多も天平以来、疱瘡流行はつづいた ※5 、というか大宰府管轄の日本唯一の国際交易港だったのだから、天然痘でもなんでも海外の文物は、まず最初に博多湾入りしたんだ。

 ずっと下って江戸時代の宝暦2年(1752)、疱瘡に関する奉行のお達し ※6 がでた。博多津要録に人参 ※7 の記事がある。

 品質の悪い下人参(げにんじん)30匁(もんめ)余りを下直(げじき)(安値)で売り払う。疱瘡流行のいま、庶民で人参に手の出なかった者が望むなら、人参1匁(3.75g。5円玉の重さ)につき代銀25匁(約93.75g)で、一人重さ5分(ごぶ)(1.875g)までは自由に買ってよし、というものだ。5分の下人参 ※8 の値は銀12.5匁(46.875g)となる。

 さて、この高麗人参の記録の7年後、宝暦9年6月15日には、「疱瘡山」なるものについて次の記事がある(右書)。

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