久留米市美術館 「白馬のゆくえ 小林萬吾と日本洋画50年」

久留米市美術館 「白馬のゆくえ 小林萬吾と日本洋画50年」


~8月23日(日)

“どぶろく”から生まれた日本洋画の潮流 小林萬吾と仲間たちの足跡を振り返る

 ボーっと生きてんじゃねーよ!チコちゃんだったら、そう叱ったことでしょう。時は文明開化の明治半ば、官僚的な美術界に黒田清輝が反発しました。黒田らが中心になって1896(明治29)年に結成したのが「白馬会(はくばかい)」です。「白馬(しろうま)」とは、白く濁ったどぶろくのこと。酒を飲みながら自由に美を創造しようという集まりでした。

 写真の『読書』は、黒田がフランス留学時代に描いた初期の代表作です。柔らかな光に包まれたエキゾチックな女性の姿は、日本洋画の記念碑です。明るい色彩が美術界に新風を吹き込みました。黒田はのちに「近代洋画の父」と呼ばれます。

 その黒田のもとで才能を開花したのが小林萬吾でした。白馬会創設時からのメンバーです。1900年の作品『門付』は、玄関先で三味線と唄を披露して小銭を稼ぐ大道芸人がモデルです。庶民の生活に向けた小林のまなざしが読み取れます。

 青木繁が代表作『海の幸』を発表したのも1904年の白馬会展でした。藤島武二などそうそうたる顔ぶれが集った白馬会は、明治洋画界の主流となります。

 東京美術学校(東京芸大の前身)の助教授になっていた小林は、白馬会が解散した1911年、文部省からヨーロッパに派遣されます。40歳を過ぎていましたが、3年間の滞在中は若い留学生とも気さくに交流し、多くから慕われました。

 時代は明治から大正、そして昭和へ。ポスターにも使われている『花鈿(はなかんざし)』は、既に教授に就任していた小林が1927(昭和2)年に描きました。髪にかんざしを挿そうとしている女性は、中国風の衣装を着ています。今見てもモダンな雰囲気です。

 日本が列強の仲間入りを果たす中、小林も美術界に確固とした地位を築き上げました。小林の教え子たちは、戦後も美術界のけん引役となります。これまで取り上げられる機会が少なかった小林萬吾を通して、日本洋画の足跡を見つめなおす展覧会です。

黒田清輝《読書》1891年 東京国立博物館
展示期間(7/14~8/23)

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