博物館・美術館

熊本県立美術館 本館「熊本城大天守外観復旧記念 熊本城と武の世界」

~12月15日(日)

難攻不落の城づくりの歩みをたどる 加藤・細川の「武」にまつわる美の世界へ

 威風堂々とした大天守が蘇りました。葺き替えた屋根瓦に漆喰の白のコントラストが鮮やかです。3年半前の熊本地震を含めて、これまで数多くの戦乱や災害を乗り越えてきた熊本城は、まさしく復興のシンボル。その熊本城の歩みを紹介する展覧会です。

 城を築いたのは、ご存知の通り加藤清正でした。清正が愛用したと伝えられるのが、写真の『片鎌槍(かたかまやり)』です。十文字槍の枝が片方だけ長く、もう片方は、「虎と戦った時に噛み折られた」と、清正の勇猛さを語る言い伝えがありますが、実際は作ったときからこの形でした。加藤家が改易されたにも関わらず、この槍が今に残っているのは、娘・八十姫(やそひめ)の輿入れ道具として紀州徳川家にもたらされたためです。

 加藤家から熊本城主を引き継いだのが細川家でした。清正とともに戦国の世を戦い抜いた細川忠興ゆかりの甲冑が『黒糸威横矧二枚胴具足(くろいとおどしよこはぎにまいどうぐそく)』です。関ケ原の合戦で着用したと伝えられ、細川家の武功を示すものとなります。しかし、忠興が徳川方についたことで、夫人のガラシャは悲劇に見舞われました。

 清正と忠興。乱世を生き抜くには、勇気も知恵も必要でした。熊本城は、築城の名手・清正の基本設計をもとに、歴代の細川家が修復を重ねた結果、難攻不落の城に進化しました。明治になって西南戦争の50日にも及ぶ籠城戦で、近代の銃撃戦を耐え抜き、類まれな防衛力を証明したのです。

 熊本地震では、多くの文化財も被災しました。地震、台風、火災…、災害列島の歴史の中で、絶えることなく続けられてきたのが文化財の修復です。大天守外観が復元されたとは言え、熊本城の修復はまだまだ息の長い事業です。心のよりどころを次の世代へ残すためにも、これまでの城の歩みを確認しておきたい、そう思わずにはいられません。

繁竹治顕
元NHK記者。’93年全米オープンゴルフ、’94年リレハンメル冬季五輪、2000年シドニー五輪などを取材。福岡放送局広報事業部長、副局長。現在、九州国立博物館振興財団専務理事。西南学院大学非常勤講師(ジャーナリズム)

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